マティス展
近代美術の展覧会に行くとたいてい1枚はあるマティス。縦長の窓の外に景色が見える絵はわりと好きだ。
ありがたいことに東京都美術館は時間予約制を継続しているので、空いている作品から見ていけば渋滞しなかった。距離を取って全体を、近くに寄って刷毛の跡を眺めることができる。いろいろな趣向の、縦長の窓の外に景色が見える絵がいくつもあった。マティスは画家人生の各段階で、計画的に意識的に新しいことを実践しているように思われた。志があり成果を出した人だった。
ただマティス先生には全面的に称える気になれないところがある。非本業の丸投げ問題だ。マティスはアシスタントで入ったリディア・デレクトルスカヤをモデルに使った。彼女は敏腕マネージャーとしてもマティスを支え、そしてその後の展開はリディアの名前で検索するといろいろ出てくる。マティスはリディアを大切にし、公私ともにあれこれとお任せしたんだろう。そして彼女のサポートに安心して、芸術を追求したんだろう。ただ検索するといろいろ出てくるのでもやもやするのだ。
ところで、会場の多くの肖像画が、描かれた側は喜ばなさそうな絵だった。モデルの欠点(と画家が思っている要素)を見逃していない感じがある。
それなのに、肖像画ではないからなのか、リディアがモデルの《夢》はやさしいすてきな絵だった。《夢》の女は完全にリラックスしていて、深い呼吸をしている。画家に凝視されていても、何も不安なことはないように目を閉じている。実際に不安がない時期だったのかもしれない。
自画像もいくつか展示されていた。気難しい完璧主義者に見えた。マティスは自分の嫌な面を忘れずに、一生かけて表現を追求した人なんだろうと想像した。わたしのもやもやを勘定に入れても、巨人のサイズはほんのぽっちりしか縮まないのだった。
ミュージアムショップ。展覧会より混んでいたのはご愛敬だが、実際いろいろ売っていた。「せっかくだからちょっとしたものを買いたい」願望をちょうどよく満たしてくるポストカードと広島レモンケーキのセットを買った。480円。