広島旅行2023 (2) 大鳥居と宮島歴史民俗資料館
前回からの続き。
宮島に到着。雨粒がぼたぼた落ちるなか、清盛像が出迎えてくれる。物見遊山に来た者を迎えるにはわりと厳しい顔つきをしている。子弟がいろいろ下手を打ったせいでカリカリしていたころの清盛に見える。漫然と遊びに来てしまって、ほんの少し申し訳ないような気持ちになる。
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厳島神社に向かって遊歩道を歩く。干潮で海水が引いている。いわゆる磯の匂いではなくて、青海苔のおいしそうな(!)匂いがする。浜辺に「貝は1人1升(3kg)以内とします」と立札がある。ふだん家で貝を食べない者には、食べ放題の量に思われる。
潮の具合は大鳥居まで歩けるほど浅くないが、できるだけ近寄って写真を撮りたい外国からの観光客が何人も海に入っていた。ざっと眺めたところだと日本人はいなくて、そうなんだ、という感じ。
日本人にとって、大鳥居は脚を濡らしてまで近づきたい映えスポットではないのかもしれないし、波打ち際を境界線として遠くから眺めておきたいものなのかもしれない。この日この時間にそうだったというだけなのでなんともいえない。わたしだって水が引いていれば喜んで歩いて行って柱をぺたぺた触ってみたりしただろうから、何が「そうなんだ」なのかわからなくておもしろい。
宮島歴史民俗資料館へ。資料館正面の雰囲気から想像していたよりずっと盛り沢山で、閉館時間ぎりぎりまで1時間以上過ごしてしまった。歴史も建物も祭祀も話の種が豊富なのだ。地元の小学生による宮島の民芸品の紹介の展示はテレビショッピングの口調でなにかと購入を勧めてきて愛らしかったし、中学生が作った厳島合戦の布陣図は力がこもっていた。
杓文字は宮島が発祥の地だという。願掛けの文字が刻まれた大小の杓文字が下がっているのを見て、岸田首相がゼレンスキー大統領に杓文字を送ってしまった気持ちはこれなのか、と思った。これはわかる人にしかわからない。報道があったときは「何で杓文字???」とびっくりするだけだったが、全然わかろうとしなくて悪かった。それにしたって、わかろうとしないとわからないものを贈るのはどうかと思うけれども。
宿への帰り道で、なんの気配も出さずに鹿が反芻していた。
次回へ続く